『曲がった鋤』 著: イタマール・ヴィエイラ・ジュニオール 訳: 武田千香、江口佳子
夏の間に読んでいたのですが、感想文を書くのがすっかり遅くなってしまいました。。
(ライブがあると他のことに気が回らなくなる、わたしの悪い癖です💦)
『曲がった鋤』は、この夏に読んだ二冊の本のうちの一冊。
※もう一冊は、第77回毎日出版文化賞を受賞した『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』です。こちらの記事でご紹介してます。
そもそも、どうしてわたしがこの本に興味を持ったのかといいますと...
今年リリースされた、ブラジルのシンガーソングライター Rubel (フーベル) の『As Palavras Vol. 1 & 2』というアルバムがありまして、
初めて聴いた瞬間から心を掴まれまして、
久しぶりに音楽の希望みたいなものを感じることができたアルバムだったんですけれども、
このアルバムについての解説を読んだところ、
フーベルはアルバムの制作中に『曲がった鋤』から大きな影響を受けた、とありました。
解説の記事はこちらです→
実際、『Torto Arado (曲がった鋤)』という同名の楽曲がアルバムに収録されています。
『曲がった鋤』は、ブラジルの現代文学作品で、奴隷制度の影響が色濃く残る地域の農場を舞台に繰り広げられる物語です。
本作については、こちらのレビューが大変詳しいです。
わたしがこの作品に興味を持った頃、作者のイタマール・ヴィエイラ・ジュニオールさんが来日していて、運良く、講演会をオンラインで聴講することができました。
ブラジル北東部バイーア州の出身で、大学卒業後、公務員として農村部で働き、奴隷制の影響が現在も色濃く残っていることをフィールドワークを通して理解した、という作者。
講演会で語られていたことの全てをメモすることはできませんでしたが、
この作品の背景として参考になりそうないくつかの断片を、ここに書いておきたいと思います。
・1500年代からの奴隷制は、略奪的な新しい生き方を生み出した。
・ブラジルは今も「植民地化」と「奴隷制」の遺物の中にいて、人を貶める永続的なプロセスが一般的になっている。
・社会的な不平等が人種的不平等とイコールになっていて、想像もできないような格差がある。
・アフリカからの奴隷は、歴史や知恵から全てひきはがれた。さらに、ブラジルでは奴隷制廃止の際に農地改革がすぐに行われなかったため、移民のように土地を自分で耕して自分のものとして働いてもらおうとしたが、そうはならなかった。
『曲がった鋤』は、「所有する」ということを禁じられた人達の物語です。
家すらも、泥でしか作ってはいけない。
この作品には「精霊」という存在が登場します。
「精霊」の存在は、彼らが生きる上でどのような意味を持っているのか、
異なる文化の中に生きているわたしにも、その一端を感じることができたように思います。
何より驚くのは、この物語は遠い昔のことではないということ。
わたしの手元にあるブラジル・ポルトガル語の教科書に、ブラジル北東部について解説したページがあるんですが、そこにはこのように記載されています。
国土面積の約18%にブラジル全人口の約30%が集中する北東部は、大西洋沿岸では気候が高温多湿で農業が盛んですが、いまだに旧態依然とした大土地所有制が残り、内陸には一般にセルタォン (sertão) と呼ばれる非常に乾燥した一帯が広がっていて慢性的な旱魃に見舞われ、そのたびに南東部への国内移住を引き起こしています。乳児死亡率 (千人あたり59人 ---- 先進国平均は9人) も文盲率 (約30%) も高く、ブラジルの最も貧しい地帯となっています。
知識としてしか捉えられなかった上記のような教科書の文章が、
一気に立体として見えてくるような、
人々の生きる姿としてまざまざと立ち上がってくるような...。
そんなふうに、この作品を読んだことで自分の認識が決定的に変化したことを感じます。
ジルベルト・ジルの『Eu Vim Da Bahia (僕はバイーアから来た)』という曲があるのですが、
この曲の歌詞の見え方も変わってきました。
「異なる文化ではあるが、求めるものは普遍的である」と、イタマール・ヴィエイラ・ジュニオールさんが講演会で仰っていました。
大きな力のある作品です。
ぜひ多くの方に読んでいただきたいなと思っています。